
#10「Lack」-1
まるで頭が働かない。
語学学校から図書館までどうやって歩いてきたか記憶にない。
それどころか今朝起きてから授業で何を勉強したかすら記憶にない。
記憶にあるのは授業が終わった後、聖子に”Take it easy.”って言われたことくらい。
それくらい私の顔は緊張でこわばっていたのかもしれない。
さっきから真っ白な頭の中をひたすら英語が飛びまわっている。
Adamに尋ねることをあらかじめ暗記してきたのだ。
家族構造、将来のプラン、恋人の有無、趣味、日本をどう思うか……etc。
そう言えば喉がカラカラだ。
私は鞄からミネラルウォーターを取出して口をつけた。
呼吸が浅い気がする。深呼吸。
”Relax. Relax.”と自分に言い聞かせながら。
なんだろう、正直わけが分からない。正気じゃない。
じっとりとした汗をかいている。
デートの前ってこんな風になるもんだっけ?
時計の針が6時をまわる少し前にAdamが現れた。
”Hi, are you angry?”
やっぱり私の顔は強張っていたみたい。
”No, but I’m just nervous.”
“Why?”
“Because of you.”
日本語では言葉にするのに躊躇することが、英語ならダイレクトに言える。
というより、英語のボキャブラリーが少な過ぎて、ダイレクトに言わざるを得ないのだ。
まず「伝える」ということを優先しなければいけないのだから。
「あなたのせいで緊張している」なんて、いかにも好意を持ってます、って宣言しているようなものだ。
けれどAdamは首をかしげている。
“Then where do you want to go?”
“I don’t know. How about you?”
“I have no idea. Ok, so what do you like? Music ,movie, museum or something else?”
“I’m not sure.”
“So what did you do in Japan?”
“I was a bank clerk.”
“Well you love money.”
私は思わず吹きだしてAdamを叩いた。Adamも笑顔で応える。
”Kidding.”
“I just want to walk in NY with you.”
Adamは”Ok, come with me.”と頷き、私たちは地下鉄へ向かった。
